私は30代後半の時、ハゲた。
その事を理解したのは、某施設に友人たちと遊びに行った時に撮った写真を現像した時だ。
私は友人が乗っているはずのジェットコースターを見上げていた。
そこを後ろから写真を撮られたわけだ。
もうおわかりだろう。
その現像された写真を見た時は、ちょっと信じられなかった。
「誰だ、これ。もしかして・・・。」
その時のショックは大きく、今では思い出したくもない貴重な体験だった。
予兆はあったが自信もあった
実は、薄毛を意識させられる出来事は、すでにあった。
それは30代になってから行きつけの散髪屋に行った時だ。
「あんさん、テッペン薄くなっとるけえ、気ぃつけんさいや。」
私は思った。
そんなはずはない、あるわけがない。
私は10代20代の頃は他の散髪屋で、
「あんたの髪は多いし剛毛じゃけ、割増料金もらわにゃ合わんのう(笑)。」
と冗談を言われていたほど、髪の毛は剛毛だったからだ。
自分でも、まとめるのに苦労するほどだった。
いつもリンスで柔らかくして、ムースで整えていたほどだ。
だから、30代で行きつけにしていた散髪屋で言われた「薄うなっとるけえ・・・」という言葉はちょっと驚いたが、本気で心配などしていなかった。
もちろんその頃は、隔世遺伝などという言葉は知らなかったし、知っていたとしてもおそらく気にもしていなかっただろう。
オレは薄毛にはならん!
自信があった。
しかし、冒頭の”見上げた写真”でその自信は一瞬で崩れ去った。
同時に、散髪屋で言われた「薄うなっとるけえ・・・」と言われた記憶が、電光石火のごとくよみがえってきた。
40代は薄毛と格闘の毎日
40代・・・私にとって、悪夢の年代となった。
そう、薄毛が気になって気になって仕方なかった。
あらゆる方法を試したのが40代。
タバコもその頃一時期やめた。酒は元々ほとんど飲まなかったが。
髪の毛に良いと言われる食品は、選んで食べた。
髪の毛に悪いと言われる食品は、できる限り避けた。
運動が良いとされたため、朝早く起きてウォーキングを始めた事もあった。
あらゆる育毛剤・養毛剤などを買い込んだ。
おかげで嫁からは「ウチは薬局かっ!」と嫌味を言われた。
しかし、薄毛はどんどんひどくなるばかりで、40代後半に差し掛かる頃には頭全体が赤ちゃんの髪の毛みたいな細い髪が、申し訳なさそうに生えている状態となった。
帽子をかぶっている時以外は極力写真を撮らなかったため、実家にいるこの時にしか薄毛を証明する写真がないが、特に横と後ろ以外は全て産毛状態となった。
あの剛毛だったオレが・・・そのギャップに悩み苦しんだ40代だった。
だが、不思議とカツラや増毛といった方法に走ろうとは全く思わなかった。
最悪、坊主にしようと考えていたからかもしれないが。
50代、ついにわかった薄毛克服方法
40代は、インターネットの情報も少なかったという点もあるが、とにかく薄毛をどうやって克服すれば良いのか、最良の方法を模索する手段もイマイチなかった。
が、毎日必死で薄毛克服に努力しまくった結果だろうか、50代になると薄毛を克服する良い方法や効果があったという話が、私の周囲に勝手に集まってくるようになった。
同時に、まだフサフサだった時代に聞いた情報なども参考にすることで、より薄毛克服に効果的は方法を見つけられるようになった。
そしてついに、私は薄毛を克服して現在に至る。
ただ、10代20代の頃ほどの剛毛には戻っていない。
が、写真でもおわかりのように、明らかにフサフサの濃い髪が生えている事が確認できると思う。
念のために言っておくが、白髪染めをしているので黒髪となっているが、実際には白髪が多少混じっている。
薄毛克服の正しい方法を知り、それを実践してからしばらくして、シャンプーをしている時に気づいた。
「なんか、髪を洗う時の手触りが変わってきた気がするのう。」
そう、髪の毛の抵抗感が出てきたなというのは感じていた。
が、実際によくよく鏡を見てみると、明らかに地肌が見えなくなっている事に気づき、
薄毛を克服する正しい方法はこれだったのだ!
と理解したのである。
このブログでは、私が行ったあらゆる薄毛克服の方法と、これが要因だろうという決定的な方法をご紹介していく。
40代、50代だからといって諦めることなどない。
実際、筋肉は何歳になっても発達する。
筋肉と同じたんぱく質である髪の毛も、いくつになっても復活する可能性は高いのだ。
最初から諦めるよりも、後悔するくらいならとりあえずやってみる事をおすすめする。
そんな私が、この育毛剤は確実に買いだ!と確信したものを3つだけ紹介する。
正直、この3商品以外は・・・。まあ、好みもあるのであまり大きな事は言わないが、この中から選んでおけば”よかった”と思う事はあれ、後悔することは少ないだろうと確信している。